社会的秩序を維持・強化するためにつくられたものである。
わが国近世の封建的身分制度が創出されたのは豊臣政権期のことである。
羽柴秀吉は、1582年太閤検地に着手、名主百姓など土豪に対して、農業から離脱するか、農業に専念するか、二つに一つを選択させ、下人・名子など隷属農民を土豪の支配から自立させ、農民を直接に把握し、土地に束縛する政策を打ち出した。
また秀吉は、1588年刀狩令を発し、農民から武器を没収した。
検地と刀狩は武士と農民との区分を明確にし、農民を被支配身分として固定させる政策であった。
近世における身分制度と階級支配の基本政策。
太閤検地以前、武士は農村に根拠地を置き、個々の農民を直接支配し、農業生産にも関与していた。
また、農民も下剋上を通じて武士化することもあり、兵農は未分離であった。
太閤検地はこの関係を断ち、武士と農民の関係を次のように整理した。
第一に、武士は農業生産そのものに直接かかわることなく、個々の武士が個々の農民を個別的に支配することはしない。
第二に、武士は農村から離れて城下町に集住し、支配階級としてまとまり、農民から連帯責任制などの経済外強制を通じて、米を中心とした生産物地代を搾取する。
第三に、年貢米を取り立てた大名は商人を通じてそれを換金し、必需物資を購入したり、家臣団の維持費を捻出する。
以上の体制全体を兵農分離という。
次に兵農分離が貫徹される過程をみると、兵農分離は畿内・近国における惣村や在地領主制の解体によって体制化された。
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